住職挨拶
第25代住職 玉井鉄宗(たまい てっしゅう)
昭和46年7月15日天川村生まれ 天川村育ち
奈良県立 奈良高等学校
神戸大学大学院自然科学研究科 博士(農学)
龍谷大学 農学部 農学科 准教授
「阿弥陀さんってどこにおるん?おるのかおらんのか分からんようなものを自分は信じられへん。」私が自然科学系の大学院生だったとき前住職である父に詰め寄ったことがあります。科学的に言えば、存在するという証拠がない限りそれは存在することにはならないですし、少なくともそんなあやふやな存在によって自分の人生が左右されることは我慢できないことでした。お浄土や阿弥陀如来なんて、自分に死が近づくことに不安を覚える人が創り出した想像上の存在でしかないのだろう。『溺れるものは藁をもつかむ』の『藁』でしかないのだろうと思っていました。多くの宗教に関心のない人達と同じように、私自身も宗教の必要性を感じなかったですし、むしろ宗教を必要としないような強い人間になることの方が重要ではないかと考えていました。将来の住職とはいえ、スタートはこんなものす。
しかし、仏教を勉強していくうちに、いかに自分の考えは浅はかであったかと気づかされました。仏教とは真実の世界の見方であり、それは科学を包み込むものです。例えば、ここに一枚のハンカチがあるとしましょう。科学的にこのハンカチを捉えますと、素材、色、重さ、面積などは明らかになるでしょうが、それはこのハンカチの一側面でしかありません。このハンカチが大好きな人からのプレゼントであった場合、ハンカチを見るだけでときめくかもしれませんし、嬉しくて涙が出るかもしれません。ところが、そのハンカチを汚されたり、無くされたりしようものなら激怒し、今度は怒りの涙を流すことでしょう。このハンカチはその人にとっては、それほど大切な何物にも代えがたい存在なのです。真実のハンカチの姿とは、そのハンカチに込められた思いや願いを含んだもので、これが仏教的視点なのです。色や形といった科学的視点は、単に他のハンカチと区別するための便宜的手段を与えるものでしかありません。
自分を含めた世界の存在、現象を全方向からありのままに捉えることが仏教なのですが、これに対して科学的に正しいことこそが真実であるという現代の世界観はとてつもない危険をはらんでいるように思います。「21世紀は宗教の時代である」というのは、同じ危機感を持っておられる方の期待を込めた言葉だろうと感じます。慌しい日常に流されずに、今こそ立ち止まって自分の本当の姿、世界の本当の姿に思いをいたす時ではないでしょうか。
この光遍寺ホームページがその一助になればと考えています。
私達は浄土真宗という素晴らしい真実の世界観に出会わせていただいています。冒頭の「阿弥陀さんはいるの?お浄土はあるの?」という問いの答えは各々で出していただきたいと思います。なぜなら、それは学んで分かることではないからです。しかし、その答えには全てが含まれています。さあ、新しい世界への出発です。